桃山町本多上野
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町名 35 桃山町本多上野  ▼龍源寺 山門
 
 龍源寺、愚庵終焉の地碑など小さな名所にあふれる町です。JRを越えて、坂道を登ると、北側には桃山小学校があり、旧桃山城の石垣などが残されていました。
読み ももやまちょうほんだこうずけ
区分 旧桃山
8027
世帯数 201
人口 568
町名の経緯 堀内村大字堀内→
町の説明 区の東部。桃山の南斜面に位置し、南を宇治川が西流し、並行して京阪宇治線・主要地方道京都宇治線が通る。
北部に桃山小学校があり、その南をJR奈良線が東西に走る。同校の西に民家およびアパート、JR線の南に今日国際福祉センターがあり、一部ビニールハウスなどが見られる外は一般住宅・マンション・アパートなどの混在する住宅地。近年建てられた住宅が目立つ。
ゆかりの人物 本多上野介正純  ▼愚庵終焉の地碑と地蔵さん
  
人物詳細 本多 正純(ほんだ まさずみ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。江戸幕府の老中。下野国小山藩主、同宇都宮藩主(第28代宇都宮城主)。本多正信の長男で正信系本多家宗家2代。 徳川家康の側近であったが、徳川秀忠の代に失脚した。