町名 | 36 桃山町松平武蔵 | ▼指月城跡の場所を尋ねたが、見当たりませんでした。 松平武蔵の南側に旧桃山城があった筈です。その碑があるというのですが、見つからず。近所の奥さんに尋ねたのですが、結局見つかりませんでした。 |
住 所 表 示 板 が 見 つ か っ て い ま せ ん |
読み | ももやまちょうまつだいらむさし | ||
区分 | 旧桃山 | ||
〒 | 8033 | ||
世帯数 | 12 | ||
人口 | 54 | ||
町名の経緯 | 堀内村大字堀内→ | ||
町の説明 | 区の中央部。桃山丘稜の南斜面に位置する。JR奈良線が南西部を走り、桃山駅の東方にあたる。東は桃山本田上野の桃山小学校、北は桃山丘稜に隣接します。 | ||
ゆかりの人物 | 池田(松平)武蔵守利隆 異母弟の池田忠雄とは異なり徳川の血は引きませんが、1607年に松平姓を与えられました。江戸時代には基本的に「武蔵守」を名乗ることは認められていませんでしたが、初期のころはそうでもなかったようです。 |
▼池田(松平)武蔵守利隆 ▼真福寺 山門 |
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人物詳細 | 池田 利隆(いけだ としたか)は、江戸時代前期の大名。播磨姫路藩の第2代藩主。岡山藩池田家宗家2代。 生涯 天正12年(1584年)9月7日、池田輝政の長男として美濃岐阜に生まれる。羽柴氏を与えられて称した。 慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の戦いに父と共に東軍方で参戦する。慶長8年(1603年)2月、異母弟の忠継が備前岡山藩主に任じられると、幼年の忠継に代わって執政代行として3月に岡山城に入った。 |