町名 | 34 桃山町泰長老 | ▼西運寺(たぬき寺) 本堂とその説明版 京阪観月橋駅の東北側で、西運寺(たぬき寺)、月橋禅院、大光明院などお寺が点在しています。大光明院の奥さんに話しをお聞きすると、奈良十津川村出身の方の墓があって、交流が続いているということでした。 住宅と史跡がうまい具合に溶け合っている町と感じました。 |
|
読み | ももやまちょうたいちょうろう | ||
区分 | 旧桃山 | ||
〒 | 8034 | ||
世帯数 | 1205 | ||
人口 | 3389 | ||
町名の経緯 | 堀内村大字堀内→ | ||
町の説明 | 区の南部。桃山丘稜西南部ふもとに位置する。西を国道24号線が走り、北東部をJR奈良線が横切る。南部は主要地方道大津宇治線と京阪宇治線が並行して走り、その南を宇治川が西流する。西部は日本住宅公団観月橋住宅で、その東に国家公務員桃山東合同宿舎がある。また南東部には曹洞宗月橋院、崇高天皇陵・光明天皇陵があり、天皇陵の参道に東面してテニスコート・駐車場・一般住宅が見られる。なお、南部には浄土宗西運寺があり、南西部には伏見簡易裁判所・伏見検察庁が設置されている。近年、古墳時代の住居跡が発掘されました。 | ||
ゆかりの人物 | 西笑承兌(じょうたい) 「たい」の部分が泰に転じています。ちょっと変わった町名ですが、結構広い町です。 秀吉や家康に外交顧問として仕えた臨済宗の僧侶です。有名な直江状も形式としては西笑承兌に送られたものです。 |
▼西笑承兌 ▼月橋禅院 |
|
人物詳細 | 西笑 承兌(さいしょう(せいしょう) じょうたい、天文17年(1548年) - 慶長12年12月27日(1608年2月13日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての臨済宗の僧。相国寺承兌とも呼ばれる。号は月甫、南陽。 山城国伏見(京都市伏見区)の人。豊臣秀吉や徳川家康の顧問・外交僧的役割を務め、特に諸法度や外交文書の起草、学問奨励策や寺社行政の立案や、法要などの仏事の運営に重要な役割を果たした。 |