町名 | 21 桃山毛利長門東町 | ▼善光寺(龍雲寺) 桃山高校があります。町の北半分を占めます。 毛利輝元の屋敷はどこにあったのでしょうか。桃山高校の場所かもしれません。 |
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読み | ももやまもうりながとひがしまち | |||
区分 | 新桃山 | |||
〒 | 0063 | |||
世帯数 | 56 | |||
人口 | 175 | |||
町名の経緯 | 旧堀内村 S18 分割 | |||
町の説明 | 区の中央部。桃山丘稜の南西部にある。北は下板橋通をはさんで桃山福島太夫南町、東は桃山三河町、南は桃山筑前台町、西は桃山町毛利長門西町に隣接する。 明治元年鳥羽伏見の戦いで大山巌が新政府軍の砲兵隊長となり、当地付近を陣地として奉行所を攻撃した。南部の陣地跡に龍雲寺がある。同寺の北に府立桃山高校がある。北西部は京都郵政研究所があります。 |
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ゆかりの人物 | 毛利長門守秀就 | ▼毛利輝元 |
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人物詳細 | 毛利 輝元(もうり てるもと)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。豊臣政権五大老の一人であり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として擁立された。長州藩の藩祖(輝元を初代藩主としていないのは、関ヶ原の戦い後の論功により秀就を初代として数えているため。 |