町名 | 20 桃山毛利長門西町 | ▼毛利輝元 ▼広報版 最初の訪問では住所表示板が見つかりませんでした。 路地までくまなく探して、やっと見つけました。 京都府総合センターという施設があります。教職員の研修をするところのようです。 この場所に毛利輝元の屋敷があったのではないでしょうか。 |
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読み | ももやまもうりながとにしまち | ||
区分 | 新桃山 | ||
〒 | 0064 | ||
世帯数 | 49 | ||
人口 | 155 | ||
町名の経緯 | 旧堀内村 S18 分割 |
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町の説明 | 区の中央部。桃山丘稜の南西端に位置し、西は国道24号線とJR奈良線が並行しており、西南に御香宮神社がある。北を下板橋通が通る。落ち着いた住宅地です。 | ||
ゆかりの人物 | 毛利長門守秀就 | ||
人物詳細 | 毛利 輝元(もうり てるもと)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。豊臣政権五大老の一人であり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として擁立された。長州藩の藩祖(輝元を初代藩主としていないのは、関ヶ原の戦い後の論功により秀就を初代として数えているため。 |