町名 | 19 桃山福島太夫北町 | ▼福島左衛門太夫正則 町の北側半分は呉竹養護学校の敷地です。福島児童公園もあって落ち着いた町でした。住所表示板は見つかっていません。 ▼呉竹擁護学校 |
住 所 表 示 板 が 見 つ か っ て い ま せ ん |
読み | ももやまふくしまだゆうきたまち | ||
区分 | 新桃山 | ||
〒 | 0061 | ||
世帯数 | 10 | ||
人口 | 36 | ||
町名の経緯 | 旧堀内村 S18 分割 | ||
町の説明 | 区の中央部。桃山丘稜の西斜面に位置し、西を国道24号線、北を丹波橋通が通る。 また西部をJR奈良線が走り、線路の東に福島児童公園があり、東半部を市立呉竹擁護学校が占める。また北西部に信用金庫があり、ほかは会社を含む新旧混合の住宅地域。 |
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ゆかりの人物 | 福島左衛門大夫正則 町名は太夫(だゆう)ですが、官職名は大夫(だいぶ)です。このあたり桃山断層による断層崖が顕著です。 |
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人物詳細 | 福島 正則(ふくしま まさのり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。賤ヶ岳の七本槍、七将の一人。 |