町名 | 18 桃山福島太夫南町 | ▼福島太夫南町は落ち着いた住宅地です。 南側に呉竹擁護学校、その南側に桃山高校があり、桃山高校の学生たちが、この道を通って通学します。ここに福島正則の屋敷があったと聞くと、納得がいくという雰囲気でした。 |
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読み | ももやまふくしまだゆうみなみまち | ||
区分 | 新桃山 | ||
〒 | 0062 | ||
世帯数 | 46 | ||
人口 | 154 | ||
町名の経緯 | 旧堀内村 S18 分割 | ||
町の説明 | 区の中央部。桃山丘稜の西斜面に位置し、久多は桃山福島太夫北町の市呉竹養護学校、西は桃山福島太夫西町、南は下板橋通をはさんで桃山毛利長門東町の府立桃山高校に隣接する。古くからの住宅地。 | ||
ゆかりの人物 | 福島左衛門大夫正則 町名は太夫(だゆう)ですが、官職名は大夫(だいぶ)です。このあたり桃山断層による断層崖が顕著です。 |
▼福島左衛門太夫正則 |
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人物詳細 | 福島 正則(ふくしま まさのり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。賤ヶ岳の七本槍、七将の一人。 |