町名 | 16 桃山町正宗 | ▼海宝寺 桃山町正宗には、海宝寺があります。黄檗宗の寺で、かなり立派なの寺です。ここに伊達正宗の屋敷があったという説明板が立っていました。 境内に佇んでいると、戦国時代の雰囲気が残っていると感じられました。 |
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読み | ももやまちょうまさむね | ||
区分 | 旧桃山 | ||
〒 | 0856 | ||
世帯数 | 316 | ||
人口 | 755 | ||
町名の経緯 | 堀内村大字堀内→ | ||
町の説明 | 区の中央部桃山丘稜の北斜面に位置し、桃山城の北にあたる。JR奈良線が北から南西に走る。東部は森林地帯や畑であった。新興住宅地として開発が進んでいます。 京都市内が一望に望める位置にあることから、住宅や会社の寮・アパートなども多いが、畑値も各所に残り、野菜の栽培などが行われています。 |
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ゆかりの人物 | 伊達政宗 漢字表記が変わっている点が気にはなりますが、諱がそのまま町名になっている珍しい例です。それだけマサムネの知名度は高いということです。 |
▼伊達正宗 ▼海宝寺の説明版 |
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人物詳細 | 伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名・伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。 幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世独眼竜の異名がある。 | ||
ゆかりの寺 | 海宝寺 黄檗宗の寺。 享保年間(1716 - 1736年)、萬福寺12世の杲堂元昶(こうどうげんちょう)によって創建され、萬福寺13世竺庵浄印 (じくあんじょういん)が隠居先としたという。もと開法寺という天台宗寺院であったものを竺庵浄印が改宗して海宝寺としたとする別伝もある。 寺のある桃山町正宗は、仙台藩の藩祖伊達政宗の伏見城上屋敷があった場所で、町名もこれに由来する。境内には伊達家上屋敷跡の説明板が仙台市によって設置されている。 大丸の創業者下村彦右衛門正啓は竺庵に帰依し自ら浄財を投じて援助を続けた。 |
▼海宝寺 |