桃山町丹下
14    MAP

町名 14 桃山町丹下  ▼桃山町丹下
  
 丹下は京阪本線で、東西2つに分断されています。東側と西側はほとんど交流がでませんから、行政上も別の町にした方が合理的だと思われます。
 国道が南から西に大きくカーブしています。恐らく国の施策によって後から国道が作られたのでしょうね。
 
読み ももやまちょうたんげ
区分 旧桃山
0053
世帯数 178
人口 591
町名の経緯 堀内村大字堀内→
町の説明 区の中央部。国道24号線が中央部で東進し、右折して南東部に抜け、南進し西方で琵琶湖疎水と高架で交差し、また東北に通じる京阪本線とも交差します。
国道の南に市水道局伏見管理事務所があり、製綿会社・ガレージ・寮・空き地、疎水に面して関西電力墨染発電所があります。
ゆかりの人物 本多丹下成重
「一筆啓上」で有名な「お仙」こそこの本多成重です。通称のひとつが「丹下」でした。 鬼作佐こと本多重次の嫡男で越前藩主結城秀康の重臣として丸岡城主を務めました。従兄弟であり大坂の陣で勇名をはせた本多富正とは異なる道を歩みました。
 ▼町の風景です。
  
 
人物詳細 本多 成重(ほんだ なりしげ、元亀3年(1572年)- 正保4623日(1647725日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。越前丸岡藩の初代藩主。徳川氏の家臣。本多重次の長男。母は鳥居忠吉の娘。正室は土岐定政の娘。子に本多重能(長男)、本多重看(次男)、本多重良(三男)、本多重方(四男)、娘(越前松平直良正室)。幼名は仙千代。通称は丹下または次郎大夫。官位は飛騨守、従五位下。