町名 | 12 桃山長岡越中南町 | ▼桃山長岡越中南町の陸橋 ▼国道24号線 丹波橋通の陸橋は子供達の通学用に作られたもの。国道24号線の通行量はかなり多いので、陸橋は必須です。 |
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読み | ももやまながおかえっちゅうみなみまち | |||
区分 | 新桃山 | |||
〒 | 0058 | |||
世帯数 | 75 | |||
人口 | 186 | |||
町名の経緯 | 旧堀内村 S18 分割 |
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町の説明 | 区の中央部。桃山丘稜の西北麓に位置し、西を国道24号線、東をJR奈良線、南を丹波橋通が通る。 東北部に長岡児童公園があるほかはアパートを含む新旧混合の住宅地帯である。 |
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ゆかりの人物 | 細川越中守忠興 管領をつとめた細川家でも傍流のため、当時は長岡姓を名乗っていました。長岡京市の「長岡」です。 細川ガラシャとの物語で有名ですが、常軌を逸したエピソードが多く残ります。名門の出ながら勇猛な武将として名を轟かせました。 |
▼細川越中守忠興 ▼国道24号線はここで高架になり右カーブ |
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人物詳細 | 細川 忠興(ほそかわ ただおき)/長岡 忠興(ながおか ただおき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。丹後国宮津城主を経て、豊前小倉藩初代藩主。肥後細川家初代。 足利氏の支流・細川氏の出身である。正室は明智光秀の娘・玉子(通称細川ガラシャ)。室町幕府将軍・足利義昭追放後は長岡氏を称し、その後は羽柴氏も称したが、大坂の陣後に細川氏へ復した。 |