町名 | 50 桃山町遠山 | ▼しっかりした住宅が目立つ街 坂のある街なので、道路に面して石垣のある住宅が作られています。 遠山友政の屋敷もこの辺にあったはず。 玉泉寺に立ち寄ってきました。 |
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読み | ももやまちょうとおやま | ||
区分 | 旧桃山 | ||
〒 | 8012 | ||
世帯数 | 198 | ||
人口 | 759 | ||
町名の経緯 | 堀内村大字六地蔵→ | ||
町の説明 | 区の東部。桃山丘稜の南東部斜面にあたり、東を府道六地蔵鳥羽線が走る。北東は桃山町安芸山、北西は桃山紅雪町、西は桃山町伊達と接すします。 当町は山林などに囲まれた住宅地として近年開発が進んだ。斜面のため道路の勾配も大きく、住宅は傾斜地に建てられているので見晴らしも良く、宇治の眺めは素晴らしい。南部な府立桃山養護学校・府立桃山学園、中央部に伊豫親王稜墓、東部に浄土宗玉泉寺があります。 |
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ゆかりの人物 | 遠山友政 苗木藩1万石の初代で織田信長の姪の子にあたります。 「遠山の金さん」こと遠山金四郎景元とは同族ですが、共通の祖先は鎌倉時代にまでさかのぼることになります。 |
▼遠山友政 ▼玉泉寺 |
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人物詳細 |
遠山 友政(とおやま ともまさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。美濃国苗木城の城主、苗木藩の初代藩主。遠山友忠の三男(嫡男)。母は織田信長の姪で、通称は初めは三郎兵衛と言ったが、後に父と同じ久兵衛に改めた。 |