町名 | 44 桃山町丹後 | ▼桃山町丹後の風景 京阪宇治線桃山南口すぐの町です。 外環状生沿いに商店もあり、駅に向かう人の流れがありました。 坂道に立った町で、少しばかりややこしい町です。落ち着きの無い町、と言ったらいいでしょうか。 |
|
読み | ももやまちょうたんご | ||
区分 | 旧桃山 | ||
〒 | 8016 | ||
世帯数 | 287 | ||
人口 | 885 | ||
町名の経緯 | 堀内村大字堀内→ | ||
町の説明 | 区の東部。北をJR奈良線が東西に走る。中央部を東西に走る。中央部を東西に外環状線と主要都道京都宇治線が並行しており、西部を桃山稜参道が通る。また外環状線の南を並行して京阪宇治線が通り、西部に桃山南口駅がある。西南部を山科川が西流し、昭和28年の洪水後の改修工事・排水ポンプ施設の完備に伴い外環状線沿いに各種工場。商店が進出し開発が進みます。 当町は伏見城築城当時、建材や一般物資を水運し、陸揚げされていた船溜まりの地でした。 |
||
ゆかりの人物 | 本多美濃守忠政 のちに大老となる酒井忠世の弟で、5千石の西尾吉次の養嗣子となりました。大坂の陣で戦功を上げ常陸国土浦藩2万石の初代藩主となりました。 |
▼西尾忠永 |
|
人物詳細 | 西尾 忠永(にしお ただなが)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての徳川氏の家臣。江戸時代前期の大名。 武蔵原市藩第2代藩主、上野白井藩主、常陸土浦藩初代藩主。横須賀藩西尾家2代。 |