桃山町永井久太郎
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町名 43 桃山町永井久太郎  ▼永井直勝            ▼桓武天皇柏原陵
  
 桓武天皇柏原陵のある町です。
読み ももやまちょうながいきゅうたろう
区分 旧桃山
0855
世帯数 51
人口 174
町名の経緯 堀内村大字堀内→
町の説明 区の中央部。桃山丘稜の西斜面に位置し、JR奈良線が北西部を通り、南を丹波橋通りが走る。北部および西部に民家があるほかは、農林水産省林業試験場とその官舎で、東南部にある桓武天皇柏原稜は諸稜助谷森和介の考証により命じ13年に造営されました。
ゆかりの人物 永井直勝+堀久太郎秀治
まず永井直勝といえば、長久手の戦いにおいて池田恒興を打ち取った武将として有名です。本能寺の変直後においては、羽柴、柴田、丹羽に次ぐ織田家中における有力武将の首級をあげました。 久太郎とは、堀久太郎、ご存じ「名人久太郎」です。若くして死ななければ歴史が変わっていたといわれる人物のひとりです。ただし同じ通称を継いだ息子の堀秀治が地名の由来です。 あたかも1人の名前ですが、実は2人の名前の連称という珍しい事例です。
 ▼広大な敷地にあります。
 
人物詳細

永井直勝 永井 直勝(ながい なおかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、旗本、大名。上野小幡藩主、常陸笠間藩主、下総古河藩初代藩主。永井家宗家初代。
堀秀治 堀 秀治(ほり ひではる)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。越後福嶋藩の初代藩主。堀秀政の長男。