町名 | 28 桃山町島津 | ▼島津義久 ▼変わった建物に出会いました。 桃山高校の東北側に位置し、完成な住宅地帯です。 恐らく島津公園のあたりに義久の屋敷があったのでしょうね。 |
|
読み | ももやまちょうしまず | ||
区分 | 旧桃山 | ||
〒 | 0854 | ||
世帯数 | 62 | ||
人口 | 243 | ||
町名の経緯 | 堀内村大字堀内→ | ||
町の説明 | 区の中央部。桃山丘稜の西斜面に位置し、北は並木道となっている。丹波橋通をへだてて、桃山永井久太郎、南は下板橋通をはさんで桃山町三河と接する。当町は振興住宅地が大半で、南東部には農業試験場関西支部、南西部に府立桃山高校のグラウンドがある。東部および東南部が次次と宅地化し、沼沢の間にはやしや畑が見られ、南部は砂利道で桃山城への抜け道となっています。 | ||
ゆかりの人物 | 島津義久、義弘 大大名の島津本家ではなく、島津四兄弟の従兄弟に当たり、佐土原藩3万石の初代藩主です。 京都で死去し、大雲院に葬られました。 |
▼島津公園 |
|
人物詳細 | 島津 以久(しまづ もちひさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。日向国佐土原藩の初代藩主。初名は幸久(ゆきひさ)、次いで同音で征久とし、以久(もちひさ)を「ゆきひさ」と読むのは旧名からきた誤読。 生涯 天文19年(1550年)、薩摩国永吉で生まれる。当主島津貴久の弟忠将が父。忠将は永禄4年(1561年)に戦死したので、叔父貴久、従兄義久に養育される。 |