| 町名 | 10 桃山水野左近西町 | ▼近鉄京都線が南西部を走る       ▼桓武天皇御陵碑があった    町全体が住宅ばかりです。そこを歩いても、めずらしいものには出会いませんでした。 桓武天皇の碑が立っていましたが、桃山御陵に参る道筋に当たるとは思えません。 |  | |
| 読み | ももやまみずのさこんにしまち | |||
| 区分 | 新桃山 | |||
| 〒 | 0059 | |||
| 世帯数 | 151 | |||
| 人口 | 391 | |||
| 町名の経緯 | 旧堀内村 S18 分割 | |||
| 町の説明 | 区の中央部。東を京阪本線、南西部を近鉄京都線が走る古くからの住宅地。 アパート・マンション・新興住宅が混在する地域。 | |||
| ゆかりの人物 | 水野左近重良 この左近は官職ではなく通称です(島左近と同じ) 紀州藩付家老で新宮藩3.5万石の二代藩主です。桃山町日向の由来となった水野勝成の従兄弟にあたります。 | ▼街の東は京阪本線。    | ||
| 人物詳細 | 水野 重良(みずの しげよし)は、紀伊新宮藩(紀州藩附家老)第2代藩主。官位は従五位下淡路守。諱は初め重種(しげたね)を名乗り、のち忠吉(ただよし)、次いで重良に改めたとされる。 | |||