町名 | 46 桃山町美濃 | ▼桃山丘稜の端っこです。 ほとんど何も無い町でした。 |
住 所 表 示 板 が 見 つ か っ て い ま せ ん |
読み | ももやまちょうみの | ||
区分 | 旧桃山 | ||
〒 | 8023 | ||
世帯数 | 6 | ||
人口 | 16 | ||
町名の経緯 | 堀内村大字堀内→ | ||
町の説明 | 区の東部。桃山丘稜の南麓に位置し、東部で東北を通る桃山稜参道と東から南西へ通るJR奈良線と交差する。 南東部に住宅が集まる。また北東部には池があります。かって当町と桃山町根来の上り道を伏見坂と言いました。 |
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ゆかりの人物 | 本多美濃守忠政 本多忠勝の長男です。 |
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人物詳細 | 本多 忠政(ほんだ ただまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。伊勢桑名藩第2代藩主。後に播磨姫路藩初代藩主。忠勝系本多家宗家2代。正室は家康の孫の熊姫である。 |