| 町名 | 07 桃山井伊掃部東町 | ▼京都教育大学附属桃山中学 校門前の案内板   ▼井伊掃部頭直孝      この説明板は、井伊掃部という名前のいわれについて、詳細に説明されていました。 桃山通りの北側で大半が京都教育大学附属中学校の敷地です。町の説明板は中学校の校門前にあったものです。文字が見えにくくなっていました。 |  | 
| 読み | ももやまちょういいかもんひがしまち | ||
| 区分 | 新桃山 | ||
| 〒 | 0071 | ||
| 世帯数 | ? | ||
| 人口 | ? | ||
| 町名の経緯 | 旧堀内村 S18 分割 | ||
| 町の説明 | 京都教育大学附属桃山中学校がある。 | ||
| ゆかりの人物 | 井伊掃部頭直孝 井伊直政の次男で、初代大老として井伊家の譜代筆頭の座を確固たるものとしました。 直孝以来代々掃部頭を名乗り、子孫が有名な井伊掃部頭直弼です。 | ||
| 人物詳細 | 井伊 直孝(いい なおたか)は、江戸時代前期の譜代大名。上野白井藩主、近江彦根藩第2代藩主。井伊直政の次男。母は印具氏。井伊直勝の異母弟。正室は蜂須賀家政の娘・阿喜姫。子に直滋(長男)、松千代(次男、夭折)、直寛(三男)、直縄(=直時)(四男)、直澄(五男)。 |